ぽんたは、生まれたときから全体的に発達がゆっくりでした。
首座りもお座りも平均より遅め。1歳半検診で引っかかり、その時にできていたのはつかまり立ちだけ。赤ちゃんの標準カレンダーに「1歳半でほとんどの子が歩ける」と書いてあるのを見て、そこからずっと気になっていました。
2歳になる直前、ぽんたが初めて浴槽の中で手放しで立った日は今でも忘れられません。喜んだわたしを見て、ぽんたもとっても笑顔でした。心配で夢の中に歩いてるぽんたが出てきたくらいだったので、本当に嬉しかった。でも、嬉しさの裏には、やっぱりどこかずっと引っかかるものがありました。
診断名を知るまでの流れ
1歳半検診をきっかけに、病院で月1〜2回、体の動きや日常生活の訓練(OT)が始まりました。
でも当時、医師から「障害です」とはっきり言われたことは一度もなく、私もなかなか聞き出せないまま時間だけが過ぎていきました。
訓練には通っているのに、「結局うちの子は何なんだろう」という宙ぶらりんな感覚がずっとありました。障害があるともないとも言われないまま、ただ訓練の日が来ては過ぎるを繰り返していた感じです。
転機になったのは、療育のプロの方と話す機会があったとき。はっきりと「この子は支援が必要な子だ」と伝えてもらったのが最初でした。
そのときの正直な気持ちは、「大袈裟に言っているだけでは?」でした。どこか人ごとのような感覚で、実感がまるでなかったんだと思います。
その後、自分から医師に「息子の障害名は何ですか?」と聞いたら「発達遅滞です」とだけ言われて、そういう名前があるのか、ふーんと思っていました。当時はなんとなくそのまま受け流してしまっていました。
「重度」という言葉を聞いたとき
重度知的障害という言葉を初めて知ったのは、ぽんたが5歳頃に申請した療育手帳の検査結果を電話で聞いたときです。
療育手帳の申請をするにあたって、知的発達の検査を受けることになりました。すごく混んでて、申請から半年後くらいに予約が取れました。そして担当の方から「結果は後日お電話します」と言われて、検査だけして帰りました。
「重度となりました」
電話口でそう聞いたとき、一瞬頭が真っ白になりました。
リハビリの先生から「だいたい年齢が低いうちは軽度か中度になると思いますよ」と聞いていたので、まさか重度?と少しショックを受けました。この時もまだ実感がなく、どこか受け入れたくない自分がいたと思います。
「重度」という言葉が信じられなくて、「もしかして中度にギリギリなれなかっただけなんじゃないか」と思いたい自分がいました。電話の人に「点数的にはギリギリで重度ですか?」と聞いたら、「ギリギリで重度です」と答えてもらいました。
でも今思うと、ギリギリかどうか確認したところで、何も変わらなかった。あのとき聞かずにいられなかったのは、ただ安心したかっただけなんだと思います。
結果を聞いた後、デイの先生に報告しました。そのとき先生に言われたことが、今も心に残っています。
「実はぽんたくんは、お母さんが思っているよりも重度で、それをどう伝えようか迷っていたんです。この機会に話せてよかったです」
そのあと先生はこう続けてくれました。
「テストはただの数字でしかないんです。精神年齢が2歳と出たとしても、検査結果にぽんたくんがこれまで得た経験は反映されません。ぽんたくんはコップにお茶を注いで飲むことができます。2歳の子にそんなこと、できないでしょう」
その言葉を聞いて、少し気持ちが楽になりました。重度という結果に泣いたりはしませんでしたが、ずっとどこかに引っかかっていたものが、少しほどけた気がしました。
少しずつ、納得していった
それでもすぐに実感が湧いたわけではありませんでした。
時間が経つにつれて「あ、この子はこういうところが重度なのか」と思う場面が少しずつ出てきて、そのたびにゆっくり腑に落ちていきました。今は、あの頃よりぽんたのことを全部受け入れている気がしています。
今思えば、「受け入れていない自分」がいたのは当然だったなと思います。知らないことへの不安、先の見えない怖さ。そういうものが積み重なっていたから、なかなか正面から向き合えなかったんだと思います。
最後に
あのデイの先生の言葉は、今でも時々思い出します。数字じゃなくて、ぽんたを見ること。そう思えるようになってから、少し楽になりました。
自分の子どもになんらかの障害があって、最初から「そうか」と思える人なんて、ほとんどいないと思います。実感がわかなくても、受け入れるのに時間がかかっても、それは当たり前です。
もし今、診断を受けたばかりで気持ちが追いついていないという人がいたら、どうか焦らないでください。きっと時間が経つにつれて、少しずつ心が変わっていきます。わたし自身の経験から、そう思っています。

